非モテ男性が集まり互いの非モテ体験を共有し、参加者の自分との類似体験から非モテの自分を取り巻く男性社会の構造を浮かび上がらせたり、ストーカー加害や女性の同意のない身体接触を犯してしまったことを反省もしつつも、問題行動を起こしてしまった時の心理や、それを向かわせた環境要因を考察するに至ったり。
こういう話合い活動を通し、男性社会のに存在する構造的問題、男性の立場から見たジェンダー問題を考え、まとめた本です。
読んでいて非モテと言う現象は自己責任にとどまらない構造的な問題が絡んでいるなと感じた。
性犯罪の研究分野では発達障害や依存症など個人特有の問題として解析や改善方法の開発が進められているが、本書を読むと、個人の特性だけではない社会構造があるように思う。
また生きづらさを感じる非モテ男性達が、この活動を通して自分の不遇を消化できたり、癒されたりする様が描かれており、当事者で集まって話をするという事は問題に対してとてもポジティブな営みなんだなと感じた。
読んでいて反省したのは、この本で言及されている男性社会にあるコミュニケーションの問題。
具体的にはカラカイや弄りによる親密さを深める行動。
僕はこれまでたびたびこのことで人を傷つけるようなことがあったと思う。
そのことで失ってしまった友情もあったし、中には被害の方の人生に大きな影響を与えてしまった可能性もある。
そして、この問題は加害者は常に加害者ではなく、被害者は常に被害者ではない点も注意だ。
あるコミュニティーでは被害者だった男性も、強くいられる場では加害者になる事もあるのだ。
相当意識しないとつい犯してしまうコミュニケーション。
その事にもっと自覚的になるべきと思った。
もっと気持ちの良い人を傷つけないコミュニケーションが取れるようになりたい。
現状、男性の生きづらさについて、女性と権力を持った男性から無視されている。
モテないのはモテない人が悪いでしょうと言う恋愛自由主義が社会の中では当たり前に許容されている。
今の空気のなかでは強くなることですか幸せになる道は無い。
でも、生きづらい人を作り出して放置すればインセルによる無差別殺人みたいな悲劇を引き起こしたりするし、極端な偏りになれば戦争も引き起こしかねない可能性はあると思う。
こういう話がもっともっと世間に認知されるようになり、多くの人が生きやすくなるような仕組みができたら良いと思った。
本書はそういう男性の生きづらさ問題を取り上げた、今は珍しい営みの一つを記録した本だと思う。